Sensory Awareness - The Heart of Somatic Psychotherapy [Japanese]

 これは2008年7月フィラデルフィアで行われた第5回アメリカボディサイコセラピーの全国 会議での発表を抄録集に載せるために書いたものです。この全国会議のタイトルは「物事の心随に近づく」でした。そして、わたしはセンサリー・アウェアネス が、ソマティックサイコセラピー(体からアプローチする心理療法)の心随に近いものだということについて話しました。

センサリー・アウェアネス-

ソマティックサイコセラピーの心髄

ジュディス.O.ウイーバー(Ph.D)        翻訳 澤口裕二

要約:この論文では、センサリー・アウェアネスというソマティック・ワークの歴史と発展について記しました。このワークがヨーロッパでつくられ、サイコセラピーとともにアメリカで発展した跡を追いました。また、英語による記録についても記しました。著者自らのセンサリー・アウェアネスとサイコセラピーの統合を解説し、症例を呈示し、小児、グループワークショップ、そしてこの全国会議での活動について記しました。

センサリー・アウェアネスはサイコセラピーの実践と組み合わされることで「ソマティック・アウェアネス」とも呼ばれます。内容は、自然なプロセス に戻るように人々を誘い、自らの体験と反応に気づけるようにする「単純な」ことです。センサリー・アウェアネスは、「ボディサイコロジー」と称するものに 影響を与えました。そして「ボディサイコロジー」と思っていない多くのサイコセラピーにも影響を与えました。単に「トーク・セラピー」と思われているもの でも、必ず自分に対する気づき、センサリー・アウェアネスの要素を持っています。クライアントが自分自身に近づくために、この身体的な気づきが役立ちま す。

歴史

センサリー・アウェアネスと呼ばれているようになったこのワークは、ドイツのエルザ・ギンドラー(1885~1961)によって始められました。 美しい動きとエクササイズを目指すハーモニック・ジムナスティク(調和体操)の教師であったギンドラーは、みんなに同じ決まった動きをさせるのはつまらな いと感じました。ギンドラーは、生徒の一人ひとりが自分の普段の生活の中で体験して学習できるようにしてあげたいと思いました。そして、生徒一人ひとりが 自分のやり方を見つけ、それを伸ばすように支援してみました。

ギンドラー自身も自分の体験から大きく変わりました。大きな病気を患い、自分の呼吸や動きについて深い気づきを必要としたからです*1。 自分自身の健康の回復の可能性を見つけるために、ギンドラーは、一年間、毎日、一日中、すべての動作について自分自身に起こることに注意を払いました。

*1 肺結核になり、医者から死を宣告されました。当時は山の上のサナトリウムで静養し、肺を休めるしか治療法はなかったのですが、ギンドラーは貧しいため、そのお金がありませんでした。

1913年までに、ギンドラーはリラックスしながら、ワークするやり方を見つけました。呼吸に注意を払うことが基本でした。呼吸をしようともせず、呼吸を変えもせず、単に呼吸に注意して、呼吸から学ぶことが基本でした*2

*2 結核にかかった方の肺を動かさないようにするというワークを始めて1年後にギンドラーはかつての主治医に偶然会いました。主治医はびっくりし て、「どうして生きているのか」と問いました。死んでいるはずだったからです。医者はギンドラーに診察させてくれるように頼み、診察しました。結局、ギン ドラーの肺結核は完治していることが判明しました。

ギンドラーのワークはだんだんと発展し、自分の体に起こっていることについて人々が気づく機会を提供できるようになりました。ギンドラーは「技 術」を教えませんでした。そして、「エクササイズ」という言葉を使わずに、 「実験」という言葉を使うようにしました。ギンドラーが生徒に提供する実験材料は、日常生活の自然な動作や活動でした。ギンドラーが焦点を当てたのは、 「探る」ことでした。「自分のやり方を感じる」ことでした。

ギンドラーは、自分が提供した単純でありながら深いプロセスに名前をつけませんでした。ギンドラーがつけようかと思った名前は、「人間とのワーク」、または「人間全体についてのワーク」だという人もいます。

1925年に、ギンドラーは実験的音楽家であり、教育者でもあったハインリッヒ・ヤコビーに会いました。お互いに相手のことを理解した後、一緒に ワークを発展させることにしました。ですから、このワークは、ヨーロッパではときどき、「ヤコビー・ギンドラー・ワーク」と呼ばれることもあります。ヤコ ビーは、アメリカでは有名になりませんでした。ヤコビーは精神分析に大きな関心がありました。ヤコビーを通して、ギンドラーは精神分析にも興味を持つよう になりました。ギンドラーは、必要なときには、自分の生徒にサイコセラピーを紹介しました。

ギンドラーは、ベルリンで一生を送りました。ギンドラーは自分のクラスを宣伝することはありませんでしたが、長年にわたりギンドラーのワークは広がり、多くの分野、特に芸術とサイコセラピーに大きな影響を与えました。

多くの人が、エルサ・ギンドラーがソマティック・サイコセラピーの祖母だと考えています。

ヨーロッパでのサイコセラピーに対する影響

フロイトの弟子のいろいろなひとが、ギンドラーのもとで学びました。クレア・ナータンゾーンは、1915年にギンドラーの元で学び始めました。ク レアがフロイトの弟子のオットー・フェニヘルと結婚すると、オットーもギンドラーのもとで学び始めました。 「私が夫にエルザの元に行かせました。すると、彼は非常に興味を持ったのです。その後、オットーはわたしに彼の精神分析のグループにギンドラーのワークに ついて話をするように頼んできました。そして、全員でそれについて議論したのでした。」と1981年にフェニヘルは語っています。

サイコセラピーに対するギンドラーの関心について、フェニヘルは次のように語っています。 「当時は、精神分析が広まっていました。ギンドラーの生徒も何人か精神分析に関わっていました。そのなかの1人が私の夫でしたし、そのほかにも関わってい る人がいました。ギンドラーは、何が起こっているかに興味を持ちました。そして、彼女は学習しました。その時から、動きに関して心理的活動が重要と思われ たときだけ、自分の言えることだけを話すようになりました。」 ギンドラーは、ますます人間を知るようになりました。これは重要なことでした。ギンドラー は、体のことだけでなく、人間全体の存在に興味を持つようになったのです。「縄跳びしたくないなら、縄を跳び超えられなくても驚いてはならない」とギンド ラーは言いました。「ギンドラーは、『体』以外の何かが、体を動かしていることに気づいたのです。そして、その『なにか』が、この『体』を機能させていま す。」とフェニヘルは、1981年に述べてます。

ウィルヘルム・ライヒ*1はギンドラーから学んだことはありませんが、ギンドラーのアプローチにいくつかの点で影響されて いるようです。ライヒがウィーンを出てベルリンへ引っ越したあと、ライヒの最初の妻であったアニーは、クレア・フェニヘルと研究しました。ライヒの娘のエ ヴァは親しい友人、ライヒ一家、そしてフェニヘルと一緒に何度も日曜のピクニックに行ったことを覚えています。そこで、ライヒはギンドラーのワークについ てクレアを質問攻めにしたといいます。「さあ、何をしたのかを教えてくれ」とライヒは聞いたのです(ライヒ、1984)。

*1 フロイトの弟子。「性格分析」の創始者。ヨーロッパの精神科学界で有名になりました。その後、ナチスとの関係や、リビドーが物質化すると考え たために、精神科学界から抹殺されました。アメリカに渡り、最後はFBIにつかまり、刑務所で死亡しました。この逮捕は不当であったと訴える人々がいま す。ライヒは、精神のエネルギーであるリビドーが物質のように、体の一部に溜まることで、神経症が発症すると考えました。そして、リビドーの固まっている ところに触れ、その固まりを解消すれば、神経症も解消すると考えました。これが、いわゆるボディワークのもとであり、ソマティック・サイコロジーのもとで す。

ライヒの愛人であり、長い期間一緒に過ごしたエルサ・リンデンベルクは、第二次世界大戦の前にも、そして、その後にもギンドラーのもとで学びました。リンデンベルクは、ライヒとともにノルウェーに住んでいたときに、フェニヘルからも学びました。

ギンドラーのワークについてエヴァ・ライヒから聞いた知識が、ライヒが精神分析のクライアントとともにワークをして呼吸と体に気づく際に大きく影響したと、エヴァ・ライヒは感じています。(ライヒ、2001)。

エヴァ・ライヒは、「ギンドラー・スクール」に送り込まれたことを覚えています。エヴァはそのスクールがとても好きでした。いろいろなものの下や、まわりや、その上を這わなければならなかったからです。(ライヒ、2001)。

グスターフ・ハイアは、C.G.ユングの弟子であり同僚でした。グスターフの妻のルーシー・ハイアは、ギンドラーのもとで学びました。ハイア夫妻 は、精神分析とともに身体的手段を使う ミュンヘンのグループに属していました。ボディサイコセラピーではありませんが、アメリカのローゼン・メソッドの創始者マリオン・ローゼンはドイツを去る までの2年間、ルーシー・ハイアのもとで学びました。「この2年間で、わたしは体にとても詳しくなり、体がとてもうまく統合されていることに本当に感心し ました。グスターフ・ハイア氏が精神科の治療とともに行ってきたワークの中で見てきたことが補完されました。それらが一緒に効果を示す様を見るようになっ たのです。ハイア夫妻は、クライアントをオープンにするためにマッサージと呼吸を使い、サイコセラピーをしているときに、クライアントが自分の問題に入り 込むのを助けました。夫妻は、このような治療方法が短期間で効果的だとわかっていたのです。」(ローゼン(2003)。)

アメリカ合衆国でのサイコセラピーに対する影響

ギンドラーの一生の間に多くの生徒が学びました。その中の、何人かがアメリカに渡りました。そのなかの1人がシャーロット・セルバーでした。セルバーは、1938年にニューヨーク市に住み、最終的に「センサリー・アウェアネス」と名付けたワークを教え始めました。

教え始めたときの、もっとも熱心な生徒が、有名な精神分析医であるエーリッヒ・フロムです。1955年に、New School for Social Researchで、フロムとセルバーは、「自分自身に触れていること」という題で合同講義をしています。(ロシュ、2000)

William Alanson White Association of Psychiatryをエーリッヒ・フロムとハーリー・スタック・サリヴァンとともにつくったクララ・トンプソンも、セルバーの生徒でした。また、クララ の同僚の多くも学んでいました。精神科医のトンプソンは、女優としてとても成功したベティ・ウィンクラー・キーンにセルバーのクラスに参加することを勧め ました。キーンは結局、ユング派の分析医エドワード・ホイットモントとともに指呼肥土をすることになりました。エドワードが言語レベルでアプローチし、 キーンが非言語的なレベルでアプローチしました。このキーンもセルバーの最初の生徒でした。その後、センサリー・アウェアネスを教え始めるのでした。キー ンはニューヨーク市で活動し、夢の結果と感覚のワークを、ユング派の分析と紡ぎ合わせました。

20世紀のサイコセラピーに多大な影響を与えた革命的サイコセラピストであるフリッツ・パールズは、ギンドラーのワークに深く影響を受けていまし た。1930年代の初頭、パールズはウィルヘルム・ライヒの患者でした。そして、パールズの妻ローラはギンドラーの生徒でした。ゲシュタルト心理療法の開 発者のフリッツとローラは、ニューヨークでセルバーから学びました。フリッツは、非常に広範囲に、そして個人的に、長い時間、セルバーから学びました。 1947年に、 William Alanson White Instituteで「計画的サイコセラピー」というテーマでパールズが話しました。そのときに、パールズは以下のようにいっています。「人間の個性の研 究を補完するのに必要なものとして少なくとも3つのものをおすすめしたいと思います。ひとつはゲシュタルト心理学、ついで意味論、そして最後におろそかに できないものとして、ギンドラー・スクールのアプローチです。」(グレゴリー、2001)。

20世紀の間に進化した、 体、心、スピリットに関わる多くの方法のなかにセンサリー・アウェアネスは深く関わっています。西洋に禅を広めたアラン・ワッツは、シャーロット・セル バーから学び、カリフォルニアで人間の潜在能力の研究のために新しく設立されたエサレン・インスティテュートに紹介しました。1963年に、セルバーはエ サレンで最初の体験型ワークショップを行いました。それは、思いがけない結果をもたらしました。セルバーはエサレンで教えることを許され、アメリカの精神 分析界のいろいろな学派に触れることができ、それらに大きな影響を与えることとなったのです。

だんだんと、多くの人がギンドラーとセルバーのワークに影響され、自分たちのサイコセラピーに取り込みました。シーモア・カーターは、エサレン で、セルバーとブルックスからセンサリー・アウェアネスを学び、フリッツ・パールズからゲシュタルト療法を学びました。カーターは、エサレンとヨーロッパ で教え続けています。Integrated Body Psychotherapy (IBP) の国際トレーナーであり、USABPの活動メンバーでもあるマージョリー・ランドも、自分のワークがセンサリー・アウェアネスの影響を受けていることを認 めています。(ランド、2001) ショックやトラウマの影響を解消するためにワークのなかで身体的なトラッキングを利用するSomatic Experiencingを開発したピーター・レビーンは、1965年にシャーロット・セルバーが行ったワークショップが自分のワークに大きな影響を与え たと話しています。(レビーン、2004)。

著者自身も1968年にシャーロット・セルバーとチャールズ・ブルックスのもとで、集中的に学び始めました。そして、このワークを教えることをセ ルバーに認められました。1960年代後半に、バイオエナージティクス、ライヒアンセラピー、その他の身体指向サイコセラピーも教えはじめました。必然的 に、そして、ほとんど 意識することもなく、センサリー・アウェアネスを自分自身の身体的サイコセラピーに統合していきました。これを、Somatic Reclaiming「からだへの回帰」と呼ぶようになりました。

文献

この分野で書かれたものはわずかしかありません。ギンドラーが書いたものは一つだけです。Deutschen Gymnastik-Bund という雑誌に書かれた”Die Gymnastik des Berufsmenschen”「労働者のための体操」です(ギンドラー、1926)。

シャーロット・セルバーは、ほとんど書きませんでした。大部分の記録は、セルバーがほぼ65年以上教えたクラスの録音テープから文書化されたもの です。シャーロットは非常に耳が遠かったので、この65年以上の間、生徒はマイクに向かって話し、シャーロットがイヤホンで聞いていました。このような状 況でしたから、比較的簡単にテープに録音できました。

1979年にベティ・キーンによって出版された小さな本とテープ以外では、チャールズV.W.ブルックスの本があります。チャールズは1950年 代にシャーロットの生徒になりました。シャーロットと結婚し、ともに教え始めました。そのチャールズがセンサリー・アウェアネスについての最初の英語の本 を書きました。ブルックスの本は、「センサリー・アウェアネス 体験の再発見」*1と名付けられました。(1974.ニューヨーク バイキング出版)

*1 邦訳 「センサリー・アウェアネス」誠信書房 絶版

ドイツ語、オランダ語、スペイン語、日本語と中国語に翻訳されましたが、長い間、絶版でした。最近、長い間、センサリー・アウェアネスの生徒で あったリチャード・ロウとステファン・レング・ジリアットによって再編集・拡張され発売されました。Reclaiming Vitality and Presence - Sensory Awareness As A Practice For Life「活力と存在の回復-生きる実践としてのセンサリー・アウェアネス 」と名付けられました。(2007. Berkeley, North Atlantic Books.)

同じくシャーロットの生徒であった、ウィリアムC.リトルウッドは メアリー・アリス・ロシュとともに、シャーロットのクラスのテープの抜粋を集め編集して、Waking Up, The Work of Charlotte Selver「目覚め シャロットセルバーのワーク」として出版しました。 (2004. Bloomington, AuthorHouse.)

センサリー・アウェアネスに関する資料の大半は、Sensory Awareness Foundation(SAF)のかけがえのない報告のなかで見ることができます。<www.sensoryawareness.org>。 そこには、ギンドラーの生徒が自らの体験を披露しています。このワークがいろいろな分野に取り入れられていったことを知ることができます。これらの報告で はサイコセラピーについて語られません。それは、センサリー・アウェアネスはサイコセラピーではないからです。たとえシャーロットが一部の有名なサイコセ ラピストと親密であったにしても、シャーロットは、自分のやっているワークがサイコセラピーでないことをはっきりさせていました。シャーロットは、感覚に ついてのワークをやりさえすれば、本当は他のものは一切いらないと感じていました。

USA Body Psychotherapy Journalの2004年第3巻ナンバー1は、その前年に102才で死んだ シャーロット・セルバーをたたえる記念号でした。わたしは、協会の名誉編集者であるジャクリーン・カールトンとともに働くゲスト共同編集者という大きな名 誉をいただきました。サイコセラピーがこの集まりの共通点ですから、サイコセラピストをしている多くの同僚が集まること、この学会誌に貢献できること、ま たさまざまなサイコセラピーにセンサリー・アウェアネスがどのように使われているかを知ることが、ものすごい楽しみでした。

わたしは、わたしのワークの基礎となっているセンサリー・アウェアネスなしで、人とワークすることはできません。センサリー・アウェアネスはわたしのワークの心髄であるといえるでしょう。

わたしの元に来るクライアントはたいてい他のサイコセラピーや治療をたくさん受けています。この頃は、多くのクライアントが、インターネット上で 「ライヒアンセラピスト」を探して、わたしの所に来ます。しばらくすると、次のようにいうクライアントがいます。「今まで受けたセラピーとなんにも変わら ないと思うのですが、同じことをしていてもやり方が違い、今はそれがとてもうまくいっているようです。」

その違いは、感覚の面にあります。わたしは常にクライアントが次のことを気づくようにします。自分自身、自分の持っている資源、自分が本当に受け取っているもの・こと、自分自身の感覚、自分がどのように反応しているか、そして自分自身の本当の衝動です。

 わたしの受けたライヒアンセラピーの教育に、センサリー・アウェアネスを組み入れたこと

3年間アジアに滞在しました。その3年間の半分は伝統的ダンスを教わり、残りの半分は仏教寺院で禅の修行をしました。その後、1968年に自分の 進んでいる道は、体、心、スピリットを統合するワークだとわかりました。そこに、西洋のモダンダンサーとしてのわたしの以前の人生と同様にアジアで学んだ すべてのことを結びつける探し求めていた感覚とつながりがありました。そのとき、シャーロット・セルバーとチャールズ・ブルックスに学び始めました。 シャーロットとチャールズのワークは、寺に住んでいるときの体験ととてもよく似ていました。注意を払います。自分のしていることを意識します。存在しま す。心を奪われないようにします。私はぞくぞくして、興味をそそられました。わたしはできるだけ多くのクラスをとりました。1968年からの数年間は、 シャーロットとチャールズから学ぶために、カリフォルニアのエサレン、メキシコ、ニューヨーク、そしてメイン州のメンヘーガン島までついて行きました。私 は禅の師に「アメリカ版の禅を見つけました」と話したことを覚えています。わたしは自分の生活のすべてのことのなかに、「よりはっきり存在する」という、 この単純な実践を味わうことができました。

わたしは「ライヒアン・セラピスト」としてトレーニングを受け、認定された後、1970年代に、クライアントとともに自分自身のワークを展開させ てきました。自分でほとんど 気がつかないまま、センサリー・アウェアネスから学んだことを自分のワークに統合してきました。大切でかけがえのない人生を送ることを助けるために大切な ことだったからです。結局、わたし自身がもはや自分のやっていることを「ライヒアン・セラピー」と呼んでいないことに気づきました。正確に表現しようとし て、 「ライヒアン・セラピーに基づくアウェアネスセラピー」という名前にしました。たとえ名前が面倒くさくなっても、わたしの行っていることを記すなかで、 ウィルヘルム・ライヒとそのワークに敬意を表したいと思います。わたしも、わたしたちみんなも、ライヒから大変な恩恵を受けているのに、ライヒは軽視さ れ、たいていは無視されているからです。こうして、わたしの行っている治療的なワークのなかでアウェアネスが核心となってきました。

わたしのクライアントが快方に向かう速さは、かなり速くなり、深くまで改善し、そして比較的お金もかからずよくなるようになりました。そして、わたし自身、自分のワークのやり方がとても倫理的で、満足だと感じるようになりました。

数年たち、1984年に、わたしが深く学んだウィルヘルム・ライヒの娘のエヴァ・ライヒに会いました。話しているあいだに、エヴァがわたしの仕事 を尋ねました。「あー、ああ、これは困ったことになった」とわたしは思いました。ライヒが自分の名前をセラピーにつけるのを好まなかったことを知っていま したし、わたしはライヒのセラピーにセンサリー・アウェアネスという別のワークを統合していたからです。もちろん、わたしはよい方向に進めたと思っていま すが、基本的にライヒのセラピーを変えたのです。私は深呼吸をして、自分はライヒアンセラピーを学び、認定されたこと、そして、その基礎の上に別のワーク を統合したことをエヴァに話しました。その別のワークというのはセンサリー・アウェアネスであること、シャーロット・セルバーがわたしの先生であること、 シャーロットのヨーロッパでの先生がエルザ・ギンドラーであることを話しました。わたしは息を止め、歯を噛み締めて、ライヒのセラピーを教えるために、世 界一周を8回もしているこの精力的な女性からどんなことをいわれるかと待ちました。そして、エヴァが叫んだときに驚きました。 「まぁ、なんて素晴らしいのでしょう!父が生きていたら、とても喜んだでしょう!」 わたしたちはとても仲良しになりました。わたしはエヴァから学び、エ ヴァのワークを教え広めることを認められました。もし、多くのギンドラーの生徒を通してライヒがギンドラーの影響を受けていなかったとすれば、ライヒが 体、特に呼吸に対するワークを始めることは無かっただろうと、エヴァは何度もわたしに話しました。(ライヒ、2001、2003)

カリフォルニア州サンフランシスコのCalifornia Institute of Integral Studies(CIIS:カリフォルニア統合学研究所)で教えていた25年間は、センサリー・アウェアネスと ウィルヘルム・ライヒの心理学の両方を教えるコースを確立することができました。センサリー・アウェアネスに基盤を持ち、より専門的なコースのなかで臨床 への応用に感覚的身体的に探究しつづけるということ、つまりソマティック・サイコセラピーに必要と思われるトレーニングを開始できたということは、わたし にとってすばらしい基盤となりました。CIISでの成功により、わたしはSanta Barbara Graduate Institute(SBGI:サンタバーバラ大学院大学)の共同設立者となったときに、ソマティック・サイコセラピーの博士養成課程をつくる勇気をえま した。わたしにとって、その養成課程を作ることは自分の内部から外部への有機的なトレーニング教育でした。その養成課程の初年度に、学生はセンサリー・ア ウェアネスのコースに参加し、他の人とのインタラクションを通したり、個人的に自分の体験したものを見つめることにより、自分の内部の探査をいっぱいしま した。2年目には、センサリー・アウェアネスのコースは、「プロセスと治療的ツールとしてのセンサリー・アウェアネス」になり、3年目には、「臨床実践- 指導のセンサリー・アウェアネス」に発展しました。

CIISとSBGIの、そしてしばらくの間、ソマティック・サイコロジー・プログラムの基礎としてセンサリー・アウェアネスでの実習を組み込んで いたJFK大学で学生を教えました。そのなかで、センサリー・アウェアネスにより、学生たちに自分自身や感覚を探ることに焦点を当てるために時間をかける ことを許すようにしました。そうすることで、その体験を自分の中心にして、学生は臨床に進むことができます。そして、転移と逆転移の境界をはっきりさせ て、自分自身を地につけておくスキル、本当の自分自身を知るスキルを身につけるようになります。センサリー・アウェアネスのワークにより、自分たちの体験 をはっきりとシェアすること、自分のクライアントや生徒ともにワークしたときにその体験をきちんと表現することを学びます。

1972年に、エサレンを訪問した日本の心理学者の最初のグループにセンサリー・アウェアネスを提供しました。 そのグループのリーダー*1は センサリー・アウェアネスに深く感銘を受け、日本に帰ると自分の心理カウンセリング教育を変え、センサリー・アウェアネスを合わせて「ニューカウンセリン グ」をつくりました。そして、「人間中心の教育を現実化する会(人現会)」がつくられました。1988年に、シャーロットは人現会の15周年記念祝賀会で 講演するように招待されました。シャーロットは、私に代わりに行くように頼んできました。それ以来、わたしは日本とそのほかの国でセンサリー・アウェアネ スのワークショップを提供し続けています。(ウィーヴァー、1997~98)

*1 前横浜国立大学教育学部教授 故伊東 博氏。

その後、アメリカ以外の国で教え、他の文化のセラピストとワークする栄誉を受けています。いつも体験することは、トラウマや文化がどんなに違おう とも、会ってコミュニケーションするための共通点を得るのは、センサリー・アウェアネスを通してだということです。センサリー・アウェアネスのなかに、わ たしたち、みんなに共通する言葉があります。(ウィーヴァー、1997~98)

わたしは、サンフランシスコで「政治的拷問の犠牲者のためのクリニック」を営むソマティック・セラピストたちのグループに数年間属していました。 わたしたちみんなが、このような犠牲者が回復するための支援の最もよい方法は、身体的なワークをすることだと感じました。わたしの経験からすると、それら の犠牲者とシェアする最良のツールはセンサリー・アウェアネスでした。

戦争で戦い拷問された男性たちとワークしてみてわかったことは、治癒にとって重要なことは、その犠牲者が現在の感覚的体験を発見し過去と現在の違いに気づくことを支援することで、その人が過去のトラウマから解放されることを手助けすることでした。

そのクリニックのクライアントではなく、わたしの個人的なクライアントでナチスの大虐殺を生き延びた人とともにワークしたことがあります。その人 は戦争中、他の人に見つからないように隠されてきました。その人の声を見つけ聞くことをワークにすることで、その人は適切な自己表現ができるようになりま した。また、中心を見つけ、地に足をつけるセンサリー・アウェアネスのワークによって、その人はリラックスし、自分自身をそんなに傷つけることをやめ、最 後には自分が本当に安心してよいのだということに気づくようになりました。ここでは、呼吸が非常に重要でした。自分が呼吸することを許すこと、自分で呼吸 をコントロールしなくてもよいこと、呼吸が自分に語りかけていて、そのときに応じていろいろと変わること、そして呼吸が自分をサポートしてくれることを知 るという「呼吸を発見するプロセス」は、その人にとって大きな支援であり、人生の変化でした。

子供たちとのワーク

過去15年にわたるわたしのワークの最新の発展は、出生前後の心理学とセラピー、つまり現在しばしばプライマリー心理学と呼ばれるたいせつな分野 にあります。初期のトラウマに対して、早期に働きかけられるなんて、とてもすばらしくて重要なことです。自分自身と子どもを見つめ、また両親にもそうする ことを助けるセンサリー・アウェアネスの能力を持つことの価値は計り知れないものです。私たちは基本的に非言語的に子どもに関わっていますから、このよう なセンサリー・アウェアネスの能力を身につけることはとても大切なことです。

症例

サリーは、他の「ライヒアンセラピスト」に見てもらった後で、わたしの所に来ました。そのライヒアンセラピストは、サリーがとても大きなトラブル を抱えていて、もっと治療が必要だといったのです。サリーは、言われたことにおびえ、いらいらしていました。サリー自身は、そのことに気づかず、自分が何 をすべきかもわかっていませんでした。最初の話し合いで、サリーの今までのことを尋ねました。そして、聞いている途中で、サリーに今自分が何を感じている かを問いました。サリーにとって、そんなに話を中断されることはいらいらすることだったかもしれません。しかし、初のセッションの終りまでには、サリーは 自分の苦しんでいたことがなんだったのか、自分に起こったことに対してどんな反応をしていたのかについて考えることができるようになりました。自分の感覚 との関係をいくらか取り戻すことができたので、サリーはワークをどのように進めるか、どのように二人でワークするかについての方向付けができたように感じ ました。サリーが自分の問題について話し続けるよりも、話を止めてそのときサリーが何を感じているかを問うたほうが、サリーが自分自身に触れ、他の誰でも ないサリー自身が自分に責任を持ているということ、誰もサリーを自分自身から取り上げることはできないこと、いつでも自分自身に触れることができ、必要な ワークを始められることを理解するのに役立ちました。

身体的なワークのやり方を知らないけれど、このクライアントには自分のやり方だけでは足りないと自覚しているサイコセラピストから、クライアント を依頼されることが時々あります。たいていのセラピストは、センサリー・アウェアネスによりクライアントの感覚を調整することの効果と、クライアントの体 に起こっている変化に驚きます。このこと以外にもセンサリー・アウェアネスは、サイコセラピーの時間のかかるプロセスを代行することも、短縮することもで きます。

ジョージは、医学的には問題が見つからない慢性の咳があり、長年サイコセラピストにかかっていましたが、ある日、わたしのところを紹介されてきま した。ジョージとワークを始めて約6週間経ったときに、わたしの前に受け持っていたセラピストと話しました。そのとき、そのセラピストはジョージの咳が止 まり、ジョージの体も性格も柔らかくなっているとびっくりしたように言いました。ちょっと感じるだけで、ジョージはいろいろなやり方で自分を見つけていた のです。

トーマスは、力強い、知的で精力的で活動的なプロです。時間があれば、水泳をしサーフィンをし、妻と愛情を交わします。トーマスはある種のアレル ギーに患わされています。そのため生活が変わり、緊張が強くなりカウンセリングを受けることにしました。トーマスはわたしがどんなワークをしているかも知 らずに、紹介されてきました。一緒にワークしながら、自分の感覚に注意を向けるように話したところ、トーマスは自分が充分に呼吸していないことに気づき びっくりしました。いかにたくさん自分が息を止めたり呼吸をコントロールしていることを発見し驚愕しました。そして、ワークを続けるともっとよくわかりま した。トーマスのアレルギーは現在、非常によくなりました。そして、自分が何をしているかを感じ理解すればするほど、もっと満足できて役に立つやり方で自 分の生活に反応できるようなりました。

ワークショップ

サイコセラピーのクライアントにこんなに深いながらも控えめなやり方で接することができるばかりでなく、サイコセラピーを望まない人々にもこの ワークを提供できるので、わたしはとても幸運だと思います。もうちょっと自分自身に触れてみたいけれど長期の治療的関係に患わされたくないと思う人にとっ てワークショップは、簡単で手軽な手段です。

センサリー・アウェアネスのワークショップや教室をひらくときは、いつもよりもっとシャーロット・セルバーやエルサ・ギンドラーのようなやり方を します。最初に自分自身を探究してもらいます。どのように呼吸しているか、床のうえで重さをどのように感じているか、今直立しているときにどんな筋肉が使 われているか、バランスをどのように感じているか、自分が重力に対してどのように反応しているかなどです。今現在の自分の存在を探究します。自分自身の探 究の後、同じ部屋にいる人々とどのようにしているかを探究することもあります。最終的に、ワークはインタラクションに進むかもしれません。歩くこと、見て いること、感じていることなどです。今、このときに、自分が存在してるのに適した場所がどのくらい遠いのか、どのくらい近いのか?パートナーに触れてみる ワークもするかもしれません。他の人と関係しているときに、自分をどのように感じるでしょうか?自分自身を感じることがないときに、他の人をどのようにし て感じられるでしょうか?動き、音、話し声、歩くこと、走ること、何でもできるでしょう。部屋の中でワーク氏、必要なら野外で自然の中でいつでもワークす ることができます。何でもできます。いつでも、何にでも注意を払うチャンスがあり、そうすることで、もって気づくようになります。 言葉をしゃべることな く、沈黙のままワークすることもよくあります。さらにまた、目を開けたまま探究したり、目を閉じたままで探究したりします。音、空間、重さ、温度、手触 り、タッチ、そこにあるすべてを体験し探究します。

ワークショップを受けた人の報告

「床に寝て他の人の頭を持ち、優しく動かしました。信用するという体験でした!今まで他の人に頭を預けるなんてことはしたことがなかったのです。 そのときの緊張は言葉にできません。本当にどのくらい緊張したか覚えていないほどです。鮮やかに思い出すのは、体を起こした時に、空気がとても濃厚だった ことです!とてもはっきりしていました。そのとき以降は感じることのない、一瞬の体験でしたが、いつでも思い出すことができます。まるで、水の中に潜ると 水の存在を感じるように、空気を感じたのです。いつもは、なんにもないのに、空気に濃さがあることを意識したのです。その夜、目を閉じて自分の呼吸を感じ られるところに手を置くようにジュディスは言いました。わたしは困惑しました。呼吸?手は教科書に書いててあるような胸の上のほうに行ったと思います。で も、呼吸について質問されたので、なんとなく自分の持っている知識と自分自身についての自信がなくなったと感じました。そうでなくても、自分が肺の中に呼 吸を感じていたかどうかもわかりません。今は何をしたかわかります。呼吸について考えることもせず、そんなことを感じることもしなかったので、混乱してい たのです。いまなら、呼吸はそこにあり、呼吸について考えることをしなくてもちゃんと呼吸できていることがわかります。」

この生徒が後でくれた手紙には以下のように書かれていました。「生活のすべてがセンサリー・アウェアネスの体験だといつも思います。」

時々、このワークは、子どもの遊びのような感じがします。することの多くは単純で、洗練されていなくて、探検のようで、そしてしばしば行き当たり ばったりです。センサリー・アウェアネスのセッションと子どもの遊びとの違いの1つは、セッションの場合は、間に休みを入れ、単純に判断せずに体験をシェ アすることです。もちろん、子供たちも自然に同じことをしています。この単純ですが、そんなに簡単ではない、体験との関係づけということが、感覚による深 くて非言語的な体験を、左脳による体験の言語化と関係づけ、そして言語と体験を統合するという重要な役割を果たすのです。一人の人間であること、そして決 して分けることのできない体と心を関係づけることは、いつでもどんなレベルでもセンサリー・アウェアネスのなかで、示されます。そして、世界との関係につ ながるのです。

このカンファレンスのセッション

カンファレンスはいつもめんどうで、落ち着かないものです。センサリー・アウェアネスのワークはとても微妙で、いつ、どこで、誰と行なうかによっ て非常に違いますから、1時間かそこらで正しいイメージを与えることは不可能です。でも、その一方で、センサリー・アウェアネスがここで紹介されるほどに 大切なことだとも感じています。「ソマティックサイコロジーの心髄と基盤」 というこのカンファレンスでは、普通のカンファレンスより多くの時間をもらっています。大変うれしく思います。そして、わたしのセッションに参加してくだ さるすべてのかたと、ワークできることを楽しみにしています。もちろん、そのときに何をするかはわかりません。何をするかは、そのときそこに集まる人によ り、その人たちが感じることにより、その人たちが話すことにより決まるからです。ワークでは深く学べるとともに、ワークは自然にできあがるものです。参加 者と同じように、わたし自身が驚くこともしばしばです。

セッションでお会いしましょう!

引用

Fenichel, C. N. (1981). From the Early Years of the Gindler Work. In: Sensory Awareness Foundation Bulletin: Elsa Gindler, 1885-1961, Vol. 10(II). (pp. 4-9). Muir Beach, CA.

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ジュディスO.ウィーバー(ライヒアン心理学博士)

1968年からシャーロット・セルバーのもとで学び、センサリー・アウェアネスを指導する許しを得る。バイオダイナミック・クラニオセイクラ・セラ ピーおよび出生前後セラピーののソマティック・エクスペァリシング・プラクティショナーの認定を受ける。また、ローゼン・メソッドのプラクティショナーで あり、シニア・ティーチャーでもある。1971年からは太極拳の教師としても認可されている。ジュディスはカリフォルニア統合学研究所で25年間、教授で あった。サンタバーバラ大学院大学の共同創設者であり、身体心理学講座をつくった。カリフォルニア州ミル・バレーとワシントン州シアトルで個人開業し、定 期的に世界中で教えている。

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